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1.古伊万里の購入ポイント No2

今回は、少し歴史の勉強をと思いますが、難しくなってはおもしろくないので、初めて古伊万里を購入するための、知識だと思ってください。記述は概要です。

伊万里焼は、江戸初期に九州の佐賀県、長崎県にまたがる地域で生産されました。
 当時は、肥前と呼ばれていました。肥前の有田が一番多い、生産量でした。
伊万里焼が突然、生産されたのではなく、秀吉が朝鮮に出兵したときに、朝鮮の陶磁器生産の集団を各大名が日本に連れ帰ったのが始まりです。
 唐津の陶器が作られ、磁器の土の発見で、初期伊万里と呼ばれる磁器の生産が始められました。学術的には肥前磁器と呼ばれます。
初期伊万里は、1610年〜1650年頃と言われています。
 特徴は、下絵の技術も未熟で、いまから見れば素朴、枯れていいのですが、当時の陶工の思いは、うまく描けないとあせりがあったでしょう。
 土も白い磁器ではなく、半磁器のようで、釉薬も還元が強いのか青白くなり、高台も当時の朝鮮の陶磁器のように、土がついている。(専門的には砂目)。土をわざと敷き、くっつかないようにしています。トチン、トチ、トチミ、ハマなどと呼ばれる窯道具を使う前の段階です。
 この時代の伊万里は、値段も高く、品物も簡単に手に入りません。初心者は敬遠して、将来の楽しみにとっておきましょうか。
1640年〜1650年頃、色絵が作られるようになりました。
 以前、古九谷は北陸の九谷の山代で作られたと聞きましたが、現在、有田地方の発掘により、古九谷と呼ばれていたやきものは、有田で作られていたことが明らかになりました。
 その古九谷は、この時代に作られました。
色絵も盛んに作られるようになり、1670年前後、金襴手が現れました。
柿右衛門手・様式は元禄時代、1688年〜1703年頃に制作されるようになり、有田での中心になりました。この時代金襴手もさらに豪華になり、輸出向けとして金をふんだんに作られ、大きな壷、尺皿が作られました。
 この時期にこんにゃく印判、型紙・紙摺り・古印判と呼ばれる製品ができましたが、、型紙・紙摺り・古印判は、制作が手間のため18世紀末には消えてしまいました。
18世紀前半には、そば食が流行り、その器としてそば猪口が大量に作られるようになりました。
18世紀後半から、料理を出す店が多く出来、湯呑、向付け、小皿、なます、色絵、尺皿など一般向けに、数多い種類の伊万里が生産されました。
 初めての方は、この時代くらいから、収集されたら如何でしょうか。時は幕末、明治初年です。
 皆さんは、幕末がよいと思われますが、私の考えですが、幕末の職人、陶芸材料などは、明治初年・20年くらいまで同じ技術ではないでしょうか。
 明治も半ばになりますと、大量生産で絵も、焼成も落ちてきます。
 幕末にこだわらず、明治初年でも変わりません。手に入る値段です。後は親切な店を探すことです。

 たいていの店に多くの伊万里が積み重ねて並べてあるのは、この時代です。

○これで、最初の知識の第1歩。ワクワク、ドキドキして買いにいきましょう。
 あとは、少しずつ本や店主からの知識を増やしていきましょう。
 コレクターの第1歩は、まずは購入。



          骨董店の陳列棚、どれがいいかなあ



          今回は、初期伊万里の破片、10センチを購入
          

1.古伊万里の購入ポイント No1

古民具やまもとから見た古伊万里の磁器は、江戸期が良く売れるので、江戸期の古伊万里を店で揃えるようになります。
 お客様は、「初期伊万里ありますか」、「くらわんかありますか」、「江戸中期の豆皿ありますか」などと来店されます。
 ついついお客様の要望に応えるべく、近畿一円仕入れに回り、経費もかかり、売価が高くなります。
 古民具やまもとでは、仕入れ価格を押さえ、売価をできるだけ低く設定するように努めています。

 お客さまも、店頭に並んでいる、伊万里をみて、何に使うのか、食卓に出し小皿はお手塩に、中皿は魚でもといろいろ考えて買ってください。飾って、また使うのもよし、大事なもので、飾ったままでもいいですよ。ぱっと飛びつかないで一旦考えて買うのもいいかなと思います。
 古民具やまもとの店主も、かなりのコレクターです。店ではしませんが自宅で金襴手の八寸でカレーやスパゲティを食べます。いいお皿で食べたら、また美味しいですよ。自分で洗います。わたしは骨董はいろいろ使って楽しいし、品物も喜びますよ。
 
 さて、古伊万里を買いに行く前に、すこしだけ「古伊万里とは」を覚えましょう。何やこんなん知っていると思う方は、十分ひとりで買いに行けますが、この項は、これからはじめようと思うお客様向けです。ご理解ください。

 古伊万里を見て、これは初期だ、中期だ、幕末と学芸員のような研究はいりません。自分の感性で、良い、欲しいを決めましょう。

@「伊万里」、「古伊万里」とよく聞きますね。
昔は、古伊万里と呼ぶのは江戸中期以前の磁器を言いましたが、現在は「古伊万里」は江戸期、すなわち幕末までの伊万里を「古伊万里」と呼ぶようになっています。
「伊万里」は明治以降に生産されたものを言っています。
少し先へ進んでおられるコレクターはいやそうではない、と言われるかも知れませんが、これからの方は、このことを覚えておられると、楽と思います。

例・・・ある店に行きました。自分好みの色絵の小皿がありました。これはいつ頃のものですか、と聞くと。主人はああ古伊万里の金襴手(きんらんて)ですか、6000円です。入(にゅう)はないし、甘手(あまて)ではなく、貫入(かんにゅう)もない、これだけの絵は珍しい、4寸は丁度よいお手元に使えますよ。お買い得です。とたたみ込んできます。どぎまぎしますね。とても欲しかったら、6000円くらいなら貰いますと言ってしまいますね。
 よく考えると、初めての骨董を買う場合は、符丁か陶器の用語がよくわからないが、わからないのを見透かされてはいけないと思い、ついうなずいてしまいます。
 そして、店主の言葉にただうなずき、気がつけば支払っている自分に気がつく方もおられるでしょう。人は無責任に勉強代だという方もおられるが、骨董の道が、うんと遠回りになりますよ。
 簡単にうなずかないで、わからないことは、店主に聞く、なんでも聞くことが、勘違いなしに、はやくコレクターの道に入れますよ。

先ほどの用語は、この中で説明をしていきます。
 伊万里は、江戸当時港で、この伊万里港から有田地方で作られた磁器を出荷していました。そのため有田と呼ばずに、伊万里と呼ばれるようになりました。

金襴手は、素焼き(粘土成型し、乾燥した後、800度くらいで焼成したものが、素焼きです)に、少し、少しですよ、呉須(ごす)(青い色)で絵を描き、1300度で焼成し、その上に、本焼きしたら赤くなる絵の具、緑になる絵の具などで描き、800度くらいで焼成します。そして金で装飾し700度くらいで、金を定着させ、完成したもの。

染錦(そめにしきは)、呉須の部分が多いので、染錦と呼びます。

入は、制作後、日常使用の時、縁を何かに当て、筋が裏表に入ったものです。

貫入は、素焼きに呉須で絵を描き、透明釉をかけたとき、釉が厚めのときか、窯が早く冷めたときに、起こります。甘手も同じことです。
窯の温度が低くて、甘手になると言われますが、間違っています。温度が低いと生焼けになり、釉が溶けずにざらっとなります。
 ただ、薩摩や萩、瀬戸の一部には、貫入を狙って制作することもあります。



次回は、少し有田の磁器生産の勉強をして、購入の勉強をしましょうか。