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向日市文化資料館が楽しい(古代の長岡京)

 向日市文化資料館をご存知ですか。古代奈良平城京から京都市の西南に今から約1200年前延暦3年(784)から延暦13年(794)まで、乙訓(おとくに)の地に遷都(せんと)しました。
 
 宮域は、東西1.02キロ、南北1.55キロで周囲は築地大垣に囲まれていました。宮域には、「大極殿」(だいごくでん)、「朝堂院」(ちょうどういん)、「内裏」(だいり)、主な役所や大蔵の倉庫がありました。
 
 京域は、東西4.3キロ、南北5.3キロでです。京域は、中央に朱雀大路(すざくおおじ)があり、その大路を真ん中に左京・右京に分かれ、小規模な役所、離宮、貴族の邸宅、役人の邸宅と下級役人の家、庶民の家、寺院、兵士の駐屯地、東西の市がありました。
 京域は、向日市(むこうし)、長岡京市(ながおかきょうし)、大山崎町(おおやまざきちょう)、京都市にまたがります。

 僅か10年で794年に「平安京」に遷都しました。10年の都だったので、完成されなかった「幻」の「長岡京」と言われてきましたが、近年故中山修一氏、故小林清氏の努力により、「長岡京」の発掘が始まり、志を引き継いだ当時の各市町の埋蔵文化財センターの研究員や向日市埋蔵文化センターの山中章氏の発掘・研究、現在はセンターの国下多美樹氏をはじめ多くの職員が発掘・研究の努力により、ほぼ完成された都であることが明らかなってきました。


文化資料館の入り口
 
長岡の地に「長岡京」が遷都をした記念に「向日市文化資料館」が建設され、主に出土物や復元資料を展示している日本で唯一の「長岡京」の資料館です。しかも京都市から、交通の便もよく、古代の「長岡京」の文化・生活・政治などが理解できるすばらしい資料館です。
 向日市だけの財産ではなく。都の貴重な歴史財産を展示している日本の文化資料館です。

 古代の歴史が、大変良くわかり、一度は来館してください。素晴らしい施設・展示物にかかわらず入場料は無料です。

 駐車場は、資料館にもありますが、図書館と共用のため、向日市役所に駐車された方がベターです。、歩いて2分です。土・日曜日は市役所の正面からは車は入れませんが、北側から入れます。(無料です)

 徒歩の見所は、阪急京都線西向日で下車、西側のホームを出て、北に50メートル程歩けば「朝堂院」です。さらに北に約300メートルに「大極殿」遺跡があります。
 「大極殿」を西に400メートルほどに、向日神社の大鳥居があります。時間がありましたら、石畳を上り、拝殿に。
 大鳥居を右に京都銀行の前をとおり、市民会館を右に見て、左は競輪場。消防署を過ぎれば、大きな交差点。北に50メートルほど行けば、左が図書館と文化資料館です。 

 文化資料館の展示・開館の詳しいことは、向日市のホームページに記載されていますので、ご参照ください。

 古民具やまもとにご来店いただきたいのですが、南の方角で、残念です。自動車の方で、ご来店いただければ幸いです。
 
 
 

京西山もみじ通信(光明寺)・(柳谷観音楊谷寺)

 いよいよ秋、秋、
 長岡京市の光明寺は、京都の、いや全国でも有名な紅葉の名勝として知られています。
 山門をくぐると、正面はなだらかな、幅の広い石畳が続きますが、山門の左を行ってください。
それはまあ、見事な紅葉、紅葉。一度は参詣を。
 写真掲載と思いましたが、自然にはかないません。見て感動してください。

 光明寺は西山浄土宗総本山です。その歴史は、一の谷の合戦で平家の敦盛を討ち、無常を感じた熊谷二郎直實が法然上人に教えを受け、乙訓の栗生(あおう)の地に念仏三昧院を造立し、法然上人を開山第一世としました。

 自動車での案内:
 さて、光明寺へは、国道171号の菱川交差点を西に、JR東海道の地下道を通り、5・6分で一文橋の交差点に出ます。ここから片側2車線(往復4車線)になります。
 大きな橋の右にガソリンスタンド、左に新河端病院があります。まっすぐ渡ります。直進です。3分くらいで右に小学校が見えます。
 まだ直進です。2・3分で右に西山病院が見え、T字路の信号を右に。
 約2分で右にローソンが見えたら、すぐの信号を左に。
 そして直進です(ここから片側1車線・往復2車線)。4・5分で光明寺門前の信号にでます。
 有料パーキングは、その信号を右に、200メートルくらいです。紅葉の時のみ、お寺が臨時で、有料のパーキングを設置しています。

 バスは、JR長岡京、阪急長岡天神から光明寺行きが出ています。

 元気な方は、徒歩で駅前から、西にバス停を過ぎ、図書館の往復4車線の道を、右に。
 大きな団地を左右に、2キロくらいでローソンが右に見えます。左の方に小倉山荘の建物が見えますと、左に曲がります。直進で1キロくらいで光明寺です。
 小倉山荘はあられ・お煎餅のお店です。中にカフエもあり、わたしもよくいきます。私から見れば建物は正倉院のようです。

 光明寺のすぐ南隣にも落ち着いた食事処があります。

 「長岡京・光明寺源平村」
 11月14日から12月7日まで、光明寺の特別拝観中、旧講堂前で「長岡京市の特産物を一同に集めた特設の臨時売店」を開設しています。
 お食事、喫茶、長岡京特産のお土産をご用意しています。是非ご来店ください。
 (お問い合わせは長岡京市商工会075−951-8029へ)

観光案内は、「長岡京市観光案内所」075−951-4500へ
 
       
 自動車の方は、交通安全で、楽しく長岡京市の観光を。
 古民具やまもとは、11月15日(土)・16(日)、22日(土)・23(日)は開店しています。29日(土)・30(日)は臨時休業です。ご来店をお待ちしています。(075−954-3103開店日のみ)、地図はホームページを参照ください。P1台。

11月14日追記:光明寺の特別入山は、11月14日から12月7日まで、入山時間は午前9時〜午後4時まで(受付は午後4時まで)、入山料は高校生以上500円です。

11月15日追記:観光案内所は、午前9時から午後5時までです。案内所はJR長岡京西側歩道橋の約50メートルのビル側2階と阪急長岡天神西側、約20メートルにあります。
光明寺の駐車場代は1000円です。

11月16日追記:光明寺の「びゃくしん」の樹木は、平成7年3月に京都府から「京都の自然200選」に選定されています。幹周:388センチ、樹高15メートル、樹齢は400年〜500年。「びゃくしん」の巨樹は大変珍しく、学術的にも価値があるとのことです。長岡京市の天然記念物にも指定されています。時間があれば見てください。

11月17日追記
長岡京市観光協会のパンフより


柳谷観音楊谷寺(やなぎたにかんのん、ようこくじ)も11月22日(土)・23日(日)にもみじまつりがあります。
有料シャトルバスも二日間に限り9:30から14:30まで、阪急長岡天神から5・6分西の文化センター前の東側及びJR長岡京前から出ています。(片道200円)

楊谷寺は弘法大師が発見した、目に霊験あらたかな独鈷水(おこうずい)でよく知られています。

長岡ガラシャ祭り巡行行列

2009年11月8日に開催されました、祭りの写真記録を追記に掲載しています。

 11月9日(日)に長岡ガラシャ祭り巡行行列が始まります。出発は12時45分、第六小学校からで(阪急長岡天神西出口を出られ、西北10分)、見所のポイントは、長岡京市役所とおもいます(阪急長岡天神東出口5分)。市役所到着は13時過ぎです。
 勝竜寺公園(細川藤孝の城)には、13時45分の到着予定です。

 長岡ガラシャ祭りは、細川ガラシャの輿入れを再現しています。
「細川ガラシャ夫人は、名前を玉といい、永禄6年(1563)明智光秀の娘として生まれました。
 16歳の時、今から約430年ほど前、天正6年(1578)旧暦8月(新暦9月)、織田信長のすすめで、当時乙訓一帯を支配していた戦国大名で勝竜寺城主細川藤孝の長子忠興のもとに輿入れしてきました。」(長岡京市発行2008長岡ガラシャ祭りのパンフレットより)


長岡京市発行2008長岡ガラシャ祭りのパンフレットより)


是非、長岡ガラシャ祭り巡行行列を見に来てください。また巡行の道中に「エポカふるさと町家(石田家)」にて、京西山古道の筍入り餅饅頭とお弁当を販売しています。


大聖寺伊万里展その8 完了報告

 その7に続きまして目録の4ページに記載しています。「大聖寺伊万里入門」を書きに掲載いたします。

「大聖寺伊万里入門」

 堂々として現代にも通じる豪快な意匠で知られる古九谷は、17世紀中期に生産され、18世紀前期に突然姿を消しました。幻の古九谷として、未だ人気があります。
 しかし、近年、加賀九谷で作られたのではなく、佐賀の有田で作られたことが明らかになり、古九谷は「古伊万里」と呼ばれるようになりました。
 幕末頃、加賀では、古九谷が100年前に加賀で作られたと考えられていて、それを再現しようとの動きが出て、大聖寺藩内の豪商豊田伝右衛門が古九谷を再現すべく、山代の春日山に築窯、「再興九谷」として生産を開始しました。よく知られている吉田屋窯(1824〜31)です。
 また木崎万亀が京に陶芸の技術を学びに出て、永楽和全の工房で学び、九谷に戻りました。木崎窯(1831〜70)です。
 宮本屋宇右衛門は休業していた吉田屋窯を買収し、宮本屋窯(1832〜59)として再興。赤絵の優品を世に送り出しました。
 松山窯(1848〜72)は、大聖寺藩が江沼郡松山村に築かせた窯で、藩窯として献上手を作りました。
 このような大聖寺藩内の陶器生産の動きをみると、突然、大聖寺藩が磁器を生産したのではなく、背景があってはじめて磁器の生産をはじめることができたのです。
 大聖寺藩は1860年に宮本屋窯を藩窯とし、磁器を生産するために、1865年、永楽和全を京都から招き、山代の春日山に窯を築かせました。永楽和全は山代に約5年間滞在し、永楽手と呼ばれる大聖寺の磁器をつくりました。
 しかし、明治になり、藩の財政も苦しくなり、大聖寺の磁器の生産は明治4年(1871)に民間の手に移りました。明治12年(1879)、九谷陶芸会社が設立され、本格的に民窯としての生産がはじまりましたが、その会社も明治24年(1891)、解散となり、磁器の生産も多くの個人会社などに移っていきました。
 

 大聖寺伊万里は(※私の分類です)
      第1期・・・・慶応元年(1865)〜明治12年(1879)
      第2期・・・・明治12年(1879)〜明治24年(1891)
      第3期・・・・明治24年(1891)以降
に分けて評価をするならば、第1期は当然ながら第2期までが収集のポイントと考えます。
 第1期は絢爛豪華で華やかであり、金襴手、赤絵など永楽一門の力が入っているのがわかります。
 第2期は、第1期の職人から、土、釉、上絵などが受け継がれますが、少しづつ丁寧さがなくなり、製品も厚手となり、全体的に絢爛豪華さが失われてきます。
 第3期は、磁器土、透明釉、呉須、上絵などの質はかなり落ちます。大量生産のような感じで、土は滋賀県、岐阜県の磁器土、白磁土が入っているように思えます。
 まだまだ、大聖寺の磁器を研究するには、民間のわたしでは限界があります。
 今後、所蔵家のみなさんと楽しんで研究していきたいと思います。

                              山本 榮二


 と目録で記載しました。
 以上はあくまで私見でありますので批判をしていただいて、収集家、また大聖寺伊万里を鑑賞する方々の研究の一助になればと思います。
 お店に来ていただいて、いろいろ楽しくお話ができれば幸いです。
 これからも、大聖寺伊万里、九谷色絵磁器について、資料を集め、コレクターの皆さんと意見交換し、資料を整理、報告しますので、ご支援をお願いいたします。
 下記は、当日の展観の写真です。
 

 

大聖寺伊万里展その7完了報告

 大聖寺伊万里展に際しまして、皆様方のご協力によりまして、無事展観でき、また終了できました。ありがとうございました。
 はじめは、誰も来店がなかったらと不安でしたが、多くの方にご来店いただき、大変感謝の心でいっぱいです。
 お客様さまからは大聖寺の見方、古伊万里の見方などいろいろご質問がありました。
 古伊万里などの見方は、先輩の同業者のブログに多く書かれています。いまさら説明とは思いましたが、詳しく説明をしました。
 大聖寺の制作年代の見方、古伊万里と大聖寺の判別方法などご理解いただけたと思います。
 また、特にコレクターのM、Kさんには準備からの目録づくり、設営。撤去などに大変お世話になりました。
 目録は無料で、オールカラーで60点ほどが掲載されています。今後の収集の手引きになるものと確信しています。

 下記に目録に店主が書きました「はじめ」を記載いたします。(大聖寺入門はNO8で)


「はじめ」
 江戸時代もまさに終焉の時、加賀の国の大聖寺藩が伊万里(佐賀の有田)を凌ぐ製品を生産することを目的に、現在「大聖寺伊万里」と呼ばれている磁器を生産しました。生産と書きましたが、当然上手を目的とした少量生産です。
 なぜに加賀の小藩である大聖寺藩が「大聖寺伊万里」を生産したのでしょうか。
 外様大名は、江戸幕府からは、改易、そして御取り潰しの危機がいつも念頭にあり、それを避けるために各藩は、物産を開発するべく藩の財政苦しい中で努力しました。
 大聖寺藩は、磁器の生産の目的を献上品としました。磁器を作るにあたり、吉田屋窯、木崎窯、宮本屋窯、松山窯の陶器の技術に磁器色絵の技術を手に入れるため、金襴手、赤絵、染付の名工西山氏(後の永楽和全)一門を京都から招聘しました。山代の春日山の九谷陶器から陶磁器の時代が到来しました。
 「大聖寺伊万里」は単に伊万里写しだけでなく、明のデザインも研究し、「大聖寺伊万里」のものとして消化しています。藩の時代の生産品は永楽一門の手が入り、伊万里より精緻で、華麗に完成されていて、献上手にふさわしいものです。
 藩の時代の土は、明治期の京焼のように輝き、製品も轆轤職人により薄く仕上げられています。
 素焼きの呉須の下絵は丁寧で、筆は滑らかに、よく走り、本焼後の上絵付けも大変丁寧で、幕末の伊万里より上手です。
 藩窯の期間はわずかでしたが、その技法は民窯に受け継がれました。
 私は「大聖寺伊万里」ではなく、「大聖寺色絵磁器」または「九谷色絵磁器」と呼ぶのがふさわしいと思いますが、いかがでしょうか。

 ここ数年、地元関西をはじめ、東京、北陸などから来店され、藩窯の献上手を探されるお客様が増えてきました。いま、改めてお客様と一緒に、「大聖寺伊万里」を研究しているところです。

 本展では、まだ良く知られていない「大聖寺伊万里」をまず知っていただき、また、磁器を制作した職人の息吹を感じ取っていただきたく思います。
 学術的な展観ではありませんが、今後、諸先輩のみなさまのご教示をいただけたら幸いです。

 末筆になりましたが、本展を開催するにあたり、ご出品いただくなど、多大なご協力を賜りました所蔵家の板東氏、畑中氏、兵庫K氏、大阪M氏に厚く御礼申しあげます。

                           2008年11月
                              主催者
 
 NO8では「目録」から「大聖寺伊万里入門」掲載します。

 「はじめ」無断転載禁